【ミニマリズム】「人生は引き算で豊かになる」の読書感想
今日は猪名川の図書館で見つけた本。
老荘思想に興味がでてその本を探してたんだけど、禅のコーナーに目が行ってしまった。
かなりミニマリズムにも繋がる、興味深さ。
人生について悩みがちなHSPの人にもおすすめです。
読後の感想
私自身「欲」は少ないほうだと思っていた。けれども、そうでもなさそうだ。
倹約家、ミニマリストであるがゆえに物欲は確かに、少ない。物はいらない。
でも、地位とか人徳みたいな、目に見えないものが欲しいのに身に付けられない
というものも「欲」であると気づかされてしまった。そして、それに執着している私はおろかだ、ということにも。
ありのままでありたい、そう思っているのに、そうなれないのは自分の欲が邪魔をしているから。自分に満足できずに、自分を落とし、勝手に不幸になっている。
精神的な意味での「知足」を身に付け、欲は捨てる。
私も、仏のように、ありのままのすべてをすばらしいと感じられるような人間になりたい、そう思った。
執着心を捨て、自然体で、丁寧に生きることが大事。
人生は引き算で豊かになる
「何もしない」という生き方をする
「無事是貴人」:ただ、造作することなかれ
→何もしない。
⇒本来の美しさというのは、何もしない、ありのままの姿にこそある。
過度に着飾ったり、化粧をしたり、高価なものを持たなくても、そのままのあなたで十分にすばらしい。
夢や希望、願望は「求めるもの」ではなく、淡々と懸命に生きる中で「いつのまにか叶う」ものだ。
「足るを知る」から豊かになれる
「知足」「小欲知足」:欲は小さく、足るを知る
豊かになりたいのなら、「もっと、もっと」と何かを積み重ねようとするのではなく、目の前のものをそのまま受け止め、それに満足し、感謝する心を育てること。
「こうでなければならない」という決まりはない
「別工夫無」:修行には、こうでなければならないという一定のきまりなどない
→日常生活のすべてが修行であり、それこそが本当の修行である。
「放下すれば便ち是なり」:あれこれ工夫しようという計らいの心を、捨て去ってしまうことが何より大切だ
→「学ぼう」という意識すらも忘れてしまうところに、本当の学びがある。
「○○のため」という意識を忘れ、捨て去ることが一番大事。
「『こうでなければならない』という決まりはなく、生活すべてが修行となる。そして、その『修行をしているんだ』という意識すらも捨てることが大事である。」p91
自分という存在を、見つめ、認める
「独坐大雄峰」:高くそびえたつ山の上に、私は今坐っている。それが何よりもすばらしいことだ。
→今ここに存在していること自体、それがすばらしいのだ。
外側の評価、価値ばかりに執着していると、一喜一憂に振り回される。現代は多様化の時代でいろんな価値観を持つ人がいる。だからこそ、自分を認めることが大事。
「あなたは自分の足で立ち、自分の頭で考え、自分の力で生命を維持している独立した存在です。まずそうやって、自分の存在を見つめ、認めることが大事なのです。」p131
その日が「良い日」か「悪い日」かは、自分の心で決まる
「日々是好日」:毎日がいい日である
→嬉しことのあった日も、辛い出来事に遭遇した日も、すべて最良の日だ。
過去や未来に囚われると、怒りや悲しみ、不安の感情に支配される。
何事があっても、ありのままを受け止める。
「過去や未来に思い悩むのではなく、ただ『今』という時を懸命に生きる。それが一番大事なのです。」p146
軽やかで凛とした生き方の中に「日々是好日」という思想が根付いていく。
誰しも人間なのだから、怒り、悲しみ、憎む時があってもいい。
しかし、それはすべてその瞬間で終わり。
その感情をさっさと切り捨て、再び心を晴れやかにする「転ずる力」が大事。
「選り好みをしない」という生き方をする
「至道無難、唯嫌揀択、但莫憎愛、洞然明白」:悟りに到る道は決してむずかしくはない。ただ、選り好みを捨てることだ。選り好みをすて、愛憎がなくなれば、すっきりとした世界となる。
→「何が正しくて、何が間違っているか」「これが美しくて、これは美しくない」という境を取り払い、そこにあるもの、そのものの価値を、あるがままに受け止める。
自分の人生でも「これが正しい」「こうしなければならない」と自分の枠を決め、無意識に選り好みしている。自分を追い詰めている。
そんなことはどうでもいい。デコボコでも不格好でもそれはそれで構わない。
「ああ、そういうものか」とあるがままに受け止める。
「目の前にあるもの」の価値に気付く
仏教における目的=「悟りをひらき、仏になること」・・・悟り、仏とは?
→この世に存在するすべてに仏心が宿っていて、すべてが尊い。その世の中に存在するすべてから「仏の心」を感じ取れるかどうか。
→「ありのままの姿」「真の価値」に気付けるように、常に心のホコリを払っておく。
「当たり前」のことを実践するのが一番難しい
現実には正解がない。
「そんな正解に縛られ、執着した瞬間から、本当に大事なものが見えなくなり、堕落が始まってしまうのです。正解がないからこそ、シンプルで、ごく当たり前のところに立ち戻ってくる。」p201~202
「もしあなたが『どのように生きるべきか』と迷うことがあったら、ぜひとも当たり前を大事にして、執着心を捨て、自然体で、丁寧に生きてほしいと思います」p202
仏を目指す
禅の心に触れれば、自分の人間性や人格というものを見つめて「仏」になれる。
=成仏できる。
仏とは仏陀:「自覚した人」
→自分自身のすばらしい人格や人間性に目覚めること。
仏道というのは、
「平常心是道」:日常の行為、ありのままの心がそのまま道になる。
→日常の心そのもの、ごく当たり前の、平々凡々たる生活の中にこそ、仏となる道が隠されている。ありのままを受け止めること。
あらゆる悩みに対しては「執着しないこと(放下着)」、「転ずる力」
「本来無一物、無一物中尽蔵」:人間は何も持たずに生まれてくる。何かを得て何かを手放しても、本来の姿に戻るだけ。無の存在である。
無の中に森羅万象が存在する。一物もない。
無=全部ある、十分満たされている。
おわりに
仏教は減らす思考。
なぜ苦しいのか。
苦しみをなくし、悟りを開くためにはどうすればいいのか。
座禅(瞑想、自問自答)によって心を定めることができる。
禅とは、
Nothing is here.Just look at yourself.(ここには何もない。あなたの中を見なさい。)
科学革命により宗教上のストーリーが奪われ、資本主義教が限界を迎えた今
どの時代どの宗教の人にも必要とされるメンタルコントロールメソッド。
byあっちゃん
宗教について、神道と仏教について勉強していると
自身のアイデンティティに興味がわいてきた。
老荘思想の動画もあった。
あっちゃんありがとう。
孔子の儒教を無効化するライバル「老子と荘子」〜人徳なんてほとんどウソだ〜前編
私は、「無為自然(何もしなくていい)」、「ありのままでいい」、「足るを知る」
このあたりに惹かれる。
どこかの宗教に属するというより、日本人のアイデンティティである神道を生活基盤にしながら、いいとこ取りの自分の宗教をつくるといいんではないだろうか。
仏教や道教、その他宗教の教えでなくとも、パワーワードや誰かの名言だって含めたい。
自分が大事にしたい考えを意識して生きることができれば、おのずと自分の軸は強くなるんだろうな。
これから、少しずつ集めよう。